ある23歳の女性の悩み「婚活で妥協は必要でしょうか?」について考えてみました。
23歳女性の書き込み概要
・そこそこモテます。
街コン・婚活パーティーで婚活をしています。自分でいうのもなんですが、婚活市場では結構モテます。
・気になることが一つでもあると
「ん?」と思うこと、身長や顔、等、気になる事がひとつでもあると「この人に決めてもいいのかな?」という気持ちになり、フェードアウト!
・この4ヶ月で20人と交際?!
友人からはもったいない!と言われますが、妥協したくないですし、自分も妥協では選んで欲しくないです。
・婚活で妥協は必要でしょうか?
でも少し疲れてきたので、早く1人に決めたいという気持ちもあります。婚活で妥協は必要でしょうか…
女性みられるケースが多く「決められない人」
女性に多い傾向がありますが、「決められないという人」というケースとお見受けします。
人生の大事な選択だから、”真剣にかつ慎重に選びたい”という意思から「決められない」という状態になっていると思われます。「人生における重要なことなので“妥協したくない”」と思うことはとても良いことです。また、「後で後悔したくない」ということもあると思いす。
しかし、
「ん?」と思う事がひとつでもあると「この人に決めてもいいのかな?」
という思いを持ってしまうと、いつまでも決められない状態に陥ってしまいます。欠点のない人なんていませんし、白馬に乗った王子様もそうそういないからです。
以下のことを考えてみることをお勧めします
人の価値観は相対的です
欠点のない人はいません。また、人の価値観で“次第で”良い/悪い”、 “好き/嫌い”は分かれます。また昔は嫌いだったが、今は良いと思うなんていうこともよくあります。つまり、 “良い/悪い” は絶対的な基準よりも個人的(相対的)な判断で評価されている場合も多々あります。
いくつか例を上げてもう少し考えてみたいと思います。
几帳面でおおらかな人はいるでしょうか
一般的には、ずさんな人よりは几帳面な人の方が良いです。しかし、几帳面な人はちょっとでも汚いことに嫌悪感を覚えるので、人に厳しい傾向があります。「几帳面だけど、人には優しく寛容な人」このように人間出来た人はそういません。仮に居たとしても、周りが放っておかないので、射止めるには自分もそれに見合ったものが無いとお相手から選んでもらえません。
潔癖症と几帳面は表裏一体です
見る人によって潔癖症と几帳面は分かれます。病的でない限り、「どこからが潔癖症と呼ぶべき」かは見る人によって異なります。
お悩みを持たれている女性の場合、「Aさんは几帳面すぎてついていけない」、「Bさんはずさんだから嫌だ」と見切っている可能性はあります。
進学の例で考えてみます
結婚を進学に置き換えて考えてみます。仮に1つの学校しか受験できないという条件のもと、「どの学校を受験するか?」と考えてみます。いずれにしても、入学できるのは1つの学校ですが、“選択権はこちらにもある”という想定で考えてみたいと思います。
学校選定は慎重に考えるべです。しかし、「入学がゴール」でしょうか。入学後、学業を疎かにしたらせっかく良い学校に入学できてもその意味が薄れます。
つまり、結婚後のことを考えてみることをお勧めします
進学の例を出したのは、結婚(入学)後を考えてみて頂きたいからです。
お相手選びは非常に重要ですが、それ以上に重要なことは、結婚後お互いに協力し合う姿勢です。夫婦とは「”欠け”をお互いに補う」ことという一面があります。また、「協力し合う」「許し合う」「共有する」お互いにこのような姿勢無くして夫婦は存続し得ません。すくなくとも幸せな夫婦はこれらの事項が前提にあるはずです。
「ん?」て思うことは結婚後も必ず起きます
お相手選びは重要です。しかし、幸せな夫婦としてやっていけるかどうかは、「ん?」て思うことが一つも無いことではありません。長い人生、結婚生活、「ん?」て思うことは数え切れないくらいあります。筆者は、結婚生活30年近くなりますが、「夫婦であっても男と女は完全にはわかり合えない」と感じています。分かり合えない故のぶつかり合いや喧嘩などはこれまで3桁は軽く超えていると思います。
少なくとも子供が生まれたら育児に対する価値観は必ず夫婦で差異が起きてきます。この価値観の差異は、事前に確認しようがありません。
一つ重要なことは、「ん?」て思うことが結婚後も必ず起きるということです。
中西会長(日本仲人協会)が著書の中で、「嫌いで無ければ結婚しなさい」と記していました。とても印象深く共感できる言葉で筆者の心に残っています。大阪の人なので、やや表現が極端ではありますが、言わんとしていることを理解する思いを持って頂けたらと思います。
婚活アドバイザーの仕事を始めて、60歳70歳の会員さんが居ることを知りました。そして、家内と「どちらかが、死に別れたら再婚するか」という話しをしてみました。恐らく、筆者は家内と死に別れたら再婚します。
なぜなら単純に一人でする食事よりも二人でする食事の方が、幸福感が全然違うからです。そして、そのお相手選びでそんなに苦労するイメージはありません(お相手が自分を好いてくれるかは別問題ですが)。
中西会長の「嫌いで無ければ結婚しなさい」という表現ははやや極端な言い方ですが、基本方針としてこの言葉を理解していれば、少なくともお相手選びに苦戦することはないと思います。
ご参考までに私が再婚するとしたら以下の基準を設けて、これがクリア出来たらOKとします。
- 死が二人を分かつまでお互い協力する約束ができる
- 「ありえない」と思うこと、また大喧嘩をしても最後は許すことを約束する
- 愛することと許す努力をし続けることを約束する
筆者のこれまでの結婚生活、お互いに言ってはいけないことを言いました(言われました)。
筆者は喧嘩モードに入ったら、言いたいことは言うようにしています。自分の記憶の中にもありますが、これでもかとの勢いで家内を罵りました。でも、“最後は許す”と決めています。また、相手の方が悪いと感じていても自分から“謝る”ようにしています(努力しています)。
仮に「ん?」て思うことが一つも無くても、1~3が欠けていたら、どこかで夫婦は破綻しすると思います。
逆に、「ん?」て思うことが多少合っても1~3があれば幸せな家庭が作れるのでは無いかと筆者は考えます。